SEA OF SPIRIT ~
人間の魂は、始まりと限界を必要とする。それゆえに、はじめに霊の海(sea of spirit)があった。
エドガーケイシーのジェネシスは:
人間の魂は、始まりと限界を必要とする。
それゆえに、(敢えて言うならば)はじめに霊の海(sea of spirit)があった。
そしてその霊の海はあらゆる空間を満たしていた。
霊の海は動くことなく、満ちたり、己に目覚めた巨人であり、自らの想念の中に住し、己の何たるかに深く沈潜していた。
そして霊の海が動いた。 霊の海は己の内に凝縮し始め、ついに全宇宙は空になり、そしてそれまで全空間を満たしていた霊は、凝縮したその中心から決してやむことなく沸き返る精神として輝きだした。
こうして霊は他のものと区別できる個我(individuality of the spirit)をもつ存在として顕現したのである。
そして霊が目覚めたときに見出す真の姿も、この霊に他ならないのである。これが神であった。
神は自らを表したいと欲され、また仲間との交流を欲された。それゆえ意神はご自身の内より大宇宙系(cosmos)と魂(soul)を投射された。この大宇宙系は人間が音楽、代数、幾何学と呼んでいるもの、つまり調和と秩序とバランスと言う法則にしたがって建てられた。.......
魂の(神への)帰還の際に失われるものは自我(エゴ)である。
Sea of Spirit
ドランバロの神聖幾何学Ⅰの中に出てくるジェネシスについての私の解釈は:
創造のプロセスが始まるにあたって必要なのは、無とスピリットであり、
この2つの概念が一緒になったときに、あらゆるものの創造が可能になった。
スピリットは意識のビームを外側に向けて6つの方向に投射して空間を定義する。
つまり東西南北上下です。(正八面体を)回転させて球を創造する。
でもこれは意識の中での球であって、虚無の中にあるのは同じ。
現実とはつまりなにもない。現実とは幻影なのです。
スピリットは同じ球をもう一度投射して作るために、球の表面まで移動し、(これが聖書で言うところの神が水の上を動いた)。そして投影した。2つの球が出来てベシカパイシスが出来た。これが光である。
このウェブサイト、
Sea of Spiritについて~
この二人のこの内容は、私がそれこそ小学校から、ずーっと疑問に思って答えの出ない質問に答えてくれています。表現と視野の角度は違いますが、私にショックを与えました。
私は原始の始めにsea of spiritであった神へ帰還し、海の1滴になることが私の切望するところです。
イエスがエレンに語った事を書きとった、奇跡のコース(コース・イン・ミラクルズ)でもイエスはまったく同じような事を言っています。
魂の帰還の際に失われるものは自我であると。